![[応急救護処置]](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_glossy,ret_img,w_768,h_424/https://syanical.com/wp-content/uploads/2022/12/LINE_ALBUM_221215_30-1024x565.jpg)
免許を得ると、「自由」を手にする。
好きな場所へ、気の向くままに赴ける。とても便利で、素晴らしい権利だ。
移動だけじゃない。デートだって、化粧だって、休暇だって、性行為だって「できる」。
したことはない。「している人を見たことがある」というだけに過ぎない。
しかし、自由で素晴らしいというだけでは都合が良すぎる。
自由を得るからには、「責任」についても学ぶのだ。
あらゆる事象において、よく耳にする「自由」と「責任」という言葉。ペア。
オグシオに始まり…もうででこないが。
今回は「ジユセキ」
ちょいと話はふらつき(蛇行運転はするな)
個人的に、自由と責任は別々のものが合わさって1セットというより、
自由の中に責任が内包されていると思ふ。
生と死も。なんだかそんな気がする。
生きるということに、死ぬことも含まれるのでは?と。生きてないと、死ねない。
自由を得なければ、責任だって、生まれない。免許における「責任」は「応急救護処置」。
万が一、事故を起こしたり、救護を要する人がいる場合のやつだ。
12,3畳の部屋に安置されている人形を叩き起こし(寝かす)
正体し、心臓マッサージを施す。「彼氏の部屋が畳だったら最悪」と嘆く女。
「きっと、あなた方は、畳の上で結ばれた子だ」と脳内でツッコミを入れながら、
「大丈夫ですか」「大丈夫ですか」とリアクションがあるわけもない人形に向かって、
大声で叫んでいる男の様は「大丈夫ではない」。
ここで、脳内に『モテキ』の主題歌が流れる
バクバクなってる鼓動
旅の始まりの合図さ
何が言いたいのか…。話があちらこちらに蛇行してしまった。
後ろで寝ている犬が吠えた。では、また、今度。